【コラム】大韓民国の保守、今こそ「エセ保守」と決別せよ[11/20]


 朴槿恵(パク・クンヘ)大統領を背後から操っていた崔順実(チェ・スンシル)氏には、人間的に見て「無教養」「無配慮」「無人情」という「三無」ともいうべき特徴があった。

 例えば彼女は娘の学校では非常に傍若無人な振る舞いをしていたことで知られ、またサウナでは特別待遇を要求していた。資産は数千億ウォン(数百億円)に上るそうだが、周囲の人を助けたという話はどこからも聞こえてこない。

 大韓民国の国民は朴大統領がこのような人物の操り人形だったことと、国政への介入を許していたことに心から怒っている。先週末、街頭での抗議行動に参加した市民が手にしていた板には「これが国か」と書かれていた。この短い言葉はわれわれのこのような怒りを的確に表現するものだ。

 とりわけ韓国の保守層はここ最近、非常に複雑な思いを抱いている。「朴大統領に裏切られた」という思いは文字通り天を突いているが、かといって今の政権と簡単には決別できない。これは最近の若者たちがよく使う言葉「メンタル崩壊」のまさにその通りの状態だ。

 そのような中、与党セヌリ党の河泰慶(ハ・テギョン)議員は保守勢力に向け「朴正煕(パク・チョンヒ)大統領を尊敬するのであれば、今回の事件で娘の朴大統領を擁護してはならない。『近代的な保守』は『前近代的な保守』と対峙(たいじ)して戦わねばならない」と呼び掛けた。

 河氏の主張は「朴大統領とその取り巻き」と「保守全体」を同一視してはならないという意味だ。「保守」は朴大統領とその周辺の「エセ保守」と決別し、新たな出発をすべきという、いわば「苦言」だ。

 河氏の主張には心から共感する。朴大統領は崔順実問題が表面化する前から「真の保守とは距離がある」といった指摘を何度も受けてきた。「保守主義」という思想はエドモンド・バークが言うように「変化しながら保存する」ということだ。完璧たり得ないことを知るが故に、話し合いを通じて見直し修正する「補修主義」を目指すものでもある。

 そう考えると朴大統領は「保守」というよりも「守旧」により近いことが分かる。

 現政権発足直後、朴大統領の熱烈な支持者の多くは過去に対するこだわりが強い「オールドスタイル」という批判を受けてきた。とりわけ彼らのイデオロギーの貧困、公人としての意識の欠如は問題視された。

 朴大統領が政策決定を下す際には、国務委員や大統領府スタッフらとの協議を通じてではなく、大統領個人の人間的なつながりに大きく依存していた。また同じ保守政権の李明博(イ・ミョンバク)前政権の流れは一切継承しようとはしなかった。

 ただでさえ韓国の保守は守旧との区別が明確でなく、アイデンティティーがはっきりしないことに以前から強い批判を受けてきた。

 例えば梨花女子大学のヤン・スンテ名誉教授は「韓国には『保守勢力』と呼ばれる政治集団は存在するが、その集団を形成するはずの『保守主義』という理念は存在しない」と指摘し、また西江大学の姜正仁(カン・ジョンイン)教授は「韓国の政治に保守勢力というものはあるが、保守というイデオロギーはない」と主張している。

 このように保守勢力が漂流する間に、進歩勢力と左派勢力は朴大統領の問題を「保守の問題」にすり替えようとしている。「腐敗した保守」というイメージを次の大統領選挙まで引っ張っていくことがその目的だ。同時に彼らは「国のために韓国の保守は今後長期にわたり政権を握ってはならない」といった扇動の言葉も国民に広めようとしている。

 韓国における真の保守はこれまで「建国」と「産業化」を成し遂げた功績がある。また最短の時間で、なおかつ最小の犠牲で民主化の土壌を整えた。さらに世界のおよそ200カ国の中で「食っていける国」、つまり経済力で韓国を世界10位前後にまで押し上げたのも彼らだ。

 この「真の保守」が今国を完全に破綻状態へと追い込んだ勢力と同一視されてはならない。保守全体の没落を防ぐには、「守旧」と「真の保守」をしっかりと区別し、それぞれ別の道を歩まねばならない。このように双方が絶縁することを通じ、今こそ大韓民国の保守を新たに立て直していかねばならない。

李河遠(イ・ハウォン)論説委員

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