【野球/いじめ】「21世紀枠」離島の高校で「ネットいじめ」 美談に隠された闇


美談には裏がある。すべてを鵜のみにすると裏切られる。今春の選抜高校野球に「21世紀枠」で出場した小豆島高(香川県小豆島町)に野球部員によるいじめが発覚し、日本学生野球協会は来年4月19日までの対外試合禁止という重い処分を科した。瀬戸内海に浮かぶ離島の高校の不祥事に耳を疑った関係者は多い。島に希望と勇気をもたらしたナインの姿が今もまぶたに浮かぶ。「エンジョイ・ベースボール」の部のモットーが泣いている。今後、21世紀枠の存続意義を問う声が出てきそうだ。

 学校側の説明によると、野球部員6人が他の部員2人に対して尻を蹴るほか、会員制交流サイト(SNS)上などで「きもい」「うざい」といった暴言の数々を並べたという。

 そもそも、同校が21世紀枠に推薦された理由は「離島のハンディを乗り越えて」というものだった。選抜出場から1年もたたないうちの不祥事だけに後味の悪さが残る。また、マンモス校でない小規模の野球部にもかかわらず、いじめの“加害者”が6人もいたことに驚かされる。

 ■高校野球ならではの“優遇制度”

 選抜甲子園の21世紀枠がスタートしたのは文字通り「2001年」(第73回大会)からだ。「困難」「ハンディ」「復興」「社会貢献」「質実剛健」…をキーワードに地域バランスを加味しながら、毎年2校から3校選出されてきた。2013年の土佐高を除くと、公立校という顔ぶれだ。高野連の“私学嫌い”がうかがえる。

 「運も実力のうち」と言うものの、高野連の“お眼鏡”にかなった学校だけが「聖地行き」切符を手にできることに、当初から疑問視する声はあった。他の競技でも、例えば高校ラグビーに年によって増枠があるが、21世紀枠のような「困難克服」の意味合いはない。

 球児にとって21世紀枠は千載一遇のチャンスをつかむことである。しかし、“迂回ルート”で憧れの甲子園の土を踏んだことで、その後の人生に慢心やおごり、勘違いが生まれることはないだろうか。

 21世紀枠に選ばれるのはその高校にとって後にも先にも一度きりであり、再度のチャンス到来はない。次は実力で甲子園を狙うしかない。例えば、沖縄・宜野座高は第1回の21世紀枠に選ばれ、その年の夏の甲子園に出場した。言い換えれば、しこりを残すような制度をどうにかこうにか維持しなくても、努力次第で球児の夢はかなうのである。

 「21世紀枠に負けたのは末代までの恥」と発言した中国地方の“名物”監督は失礼千万な話だが、都道府県の予選を勝ち抜いて甲子園切符を手にした高校と、21世紀枠で出場を果たした高校を同列で考えることはできない。前者にとっての甲子園は地方大会を勝ち抜いた「ご褒美」。しかし、後者の甲子園は褒美という性質のものではなく、ある意味、授かりもののような偶然だ。

 過去、21世紀枠で選抜出場を果たした高校は40校を超す。夢に見た甲子園でそれぞれが思い出のドラマを築けたかもしれないが、大人になって振り返ったとき、歯がゆさなどを感じることはないのか。今後、21世紀枠の出場校から不祥事が起こらないとも限らない。甲子園への「近道」を敷いた高野連の責任はどうなるのか。

 「美談」で感動を誘う主催者側の意図はファンに見透かされている。「21世紀枠が始まって15年が過ぎ、その役割は終えている」と指摘する野球関係者もいる。この制度の前に甲子園の土を踏めずに泣いてきた球児がいることも忘れてはならないだろう。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161119-00000506-san-base